2009年 03月 26日
ソルベー研究所 |
ソルベー研究所のお手伝いをするためにブリュッセルに来ています。
物理学者にとっては、ソルベー会議と言うのは特別な意味を持っています。左の写真は、1911年の第1回ソルベー会議のものです。左から3人目に座っている立派なひげの人が、化学工場を起こして財を成したアーネスト・ソルベーで、この会議のスポンサーでした。右から2番目に座って肘を突いているのがマリー・キュリー、その右がポアンカレ、その後ろの右から2番目がアインシュタインです。最年少の参加者のアインシュタインはポアンカレと確執があったそうで、写真の表情がこわばっていると言う人もいます。当時は、国際会議というもの自身が少なかったようで、この会議は大きな成果をあげました。これを受けて翌年にはソルベー研究所が設立され、3年に1度、ソルベー会議が定期的に開かれるようになりました。
1927年の第5回ソルベー会議は量子力学の基礎を確立したことで特に有名で、ボーア・アインシュタイン論争がくりひろげられたのもこの会議でした。最初の5回のソルベー会議の成功は、議長を務めたローレンツの力量が大きかったようです。ローレンツは翌年の1928年になくなっています。
第2次世界大戦後はイリヤ・プリゴジンが45年間所長をしていましたが、2004年からはマーク・ハノーさんが所長になりました。ハノーさんのリーダーシップで、ソルベー会議のほかにも、ワークショップや客員教授、大学院生向けの短期集中講座も始まりました。私は2005年のソルベー会議に参加しましたが、2011年には100周年記念の大きな会議も予定されているようです。ソルベー家は今でもベルギー有数の資産家で、ソルベー研究所にも援助をしてくださっているのはありがたいことだと思います。
物理学者にとっては、ソルベー会議と言うのは特別な意味を持っています。左の写真は、1911年の第1回ソルベー会議のものです。左から3人目に座っている立派なひげの人が、化学工場を起こして財を成したアーネスト・ソルベーで、この会議のスポンサーでした。右から2番目に座って肘を突いているのがマリー・キュリー、その右がポアンカレ、その後ろの右から2番目がアインシュタインです。最年少の参加者のアインシュタインはポアンカレと確執があったそうで、写真の表情がこわばっていると言う人もいます。当時は、国際会議というもの自身が少なかったようで、この会議は大きな成果をあげました。これを受けて翌年にはソルベー研究所が設立され、3年に1度、ソルベー会議が定期的に開かれるようになりました。
1927年の第5回ソルベー会議は量子力学の基礎を確立したことで特に有名で、ボーア・アインシュタイン論争がくりひろげられたのもこの会議でした。最初の5回のソルベー会議の成功は、議長を務めたローレンツの力量が大きかったようです。ローレンツは翌年の1928年になくなっています。
第2次世界大戦後はイリヤ・プリゴジンが45年間所長をしていましたが、2004年からはマーク・ハノーさんが所長になりました。ハノーさんのリーダーシップで、ソルベー会議のほかにも、ワークショップや客員教授、大学院生向けの短期集中講座も始まりました。私は2005年のソルベー会議に参加しましたが、2011年には100周年記念の大きな会議も予定されているようです。ソルベー家は今でもベルギー有数の資産家で、ソルベー研究所にも援助をしてくださっているのはありがたいことだと思います。
by planckscale
| 2009-03-26 01:23