2014年 01月 08日
内側から見た米国の大学入試制度 |
昨日は、職員会館で第2回目の「理論物理学昼食会」を開きました。今回は、生物学部門のロバート・フィリップスさんに、生物物理学についてお話しいただきました。理論物理学者が生物学にどのように貢献できるのか、定量的な解析ができる問題にどのようなものがあるのか、などについて、ご自分の研究を中心に説明してくださいました。
また、今日は、Caltechの大学入試委員会がありました。私は、昨年に続いて今年も入試委員で、11月には前期入試の応募書類を読みました。1月の半ばから3月の初めにかけて、後期入試が始まるので、それに備えた準備の会議でした。
大学入試のあり方は、日本でも教育再生実行会議の提言などもあって、話題になっているようです。
私は、講談社の雑誌『群像』の昨年6月号に、Caltechでの大学入試委員の経験について書きました(そのときのブログ記事)。この記事は、朝日新聞のWEBRONZAにも、「内側から見た米国の大学入試制度」というタイトルで掲載されました。掲載から2ヶ月以上たったので、ここに再録します。
内側から見た米国の大学入試制度
私の所属するカリフォルニア工科大学(通称カルテク)は、学部学生の数にして東京大学の15分の1という小さな大学であるが、122年の歴史の中で卒業生から15名、教授から16名のノーベル賞受賞者が輩出している。また、英国の教育専門誌『タイムズ・ハイヤー・エデュケーション』の世界大学ランキングでは、長年1位だったハーバード大学や理工系の雄であるMITを退け、2年連続で1位になっている(これは『群像』6月号掲載時で、その後秋に発表になったの2013年のランキングでもトップで、3年連続で1位となった)。優秀な学生を集める秘密を知ろうと、入試委員会に参加してみた。
米国の入試制度は「多様な人材を確保する仕組み」と紹介されることが多いが、実は20世紀の初頭までは、今の日本と同様に学業成績と筆記試験の点数によって入学者を選んでいた。しかし、1920年代に教育熱心なユダヤ人の子弟が大挙してハーバード大学などに入学するようになったので、「人格による合否判定」という主観的要素を盛り込むことで、ユダヤ人の入学者数を恣意的に制限できるようにした。そもそもの始まりはユダヤ人差別だったのだ。
1960年代に公民権運動が盛んになり、さらに1978年に州立大学の入試で人種を考慮に入れることは合憲であるという連邦最高裁判決が出ると、大学内の人種構成を、人為的にでも米国全体の人種構成に近づけることが公に奨励されるようになった。また、大口の寄付が期待できる資産家や卒業生の子弟を入試で優遇することも、公然と行われている(カルテクでは行われていない)。客観的な基準による説明責任を求められない入試制度は、大学の運営に都合のよいものだったのだ。
米国の大学では、入試は専門の職員に任されていることが多いが、カルテクでは教授も合否判定に参加する。昨年の秋に開かれた最初の会合は、入試事務局長のジャリッド・ホイットニーさんの説明から始まった。
「今年度の受験者は、およそ6000名になると予想されます。私たちの仕事は、その中から240名の新入生を選ぶことです。ご自分の講義に迎えたい学生を選んでください。」
ホイットニーさんはハーバード大学で教育学の修士号を取得後、アイビーリーグやスタンフォード大学で入試業務に携わってきた入試のプロである。彼を含めた7名の専門職員が、日本のセンター入試に当たるSATや高校の成績をもとに、6000名の志願者を2000名に絞り、これを20名の教授が手分けして審査する。
パスワードで保護された入試専用のウェブサイトに行くと、私のページに志願者のフォルダーが設置されている。その一つひとつに、SATの成績、高校からの成績表や推薦書、エッセイや課外活動の記録などが入っている。高校といっても名門進学校から貧困地区の公立高校までさまざまなので、志願者の高校のデータも添付されている。専門職員による判定意見書もフォルダーに入っているが、それはまだ見ないことにする。
書類を丁寧に読むのには、一人当たり30分はかかる。私の割り当ては100件なので、全部で50時間。研究や教育の支障とならないように、平日の夕食後や週末に、自宅のコンピュータで読むことにした。
カルテクでは、学生の数と教授の数が3対1という少数精鋭の教育が行われている。学部の間に最先端の研究に参加する機会も多い。このような環境を生かせる学生を選ぶために、SATや高校の成績に表れる基礎学力や、エッセイに書かれた理工系の学問への熱意に注目する。
30分かけて願書を読むと、彼ら一人ひとりの半生がコンピュータ画面の向こうに浮かび上がってくる。
合否の判定を決めてから、専門職員の意見書を開くと、高校の成績表の分析や課外活動の評価が詳しく書き込まれている。推薦書やエッセイの読み方にもコツがある。「倫理的な葛藤」を課題とするエッセイでは、人格や判断力を評価する。「なぜカルテクか」では、自らの目標をどれだけ具体的に説得力を持って語ることができるかが問われている。ウェブサーフで集めた浅薄な知識では、経験ある専門職員にすぐに見透かされてしまうのだ。この意見書を読んでもう一度考え直し、合否とその理由を書き込んで、入試事務局に送る。教授と専門職員の合意があれば事務局長のホイットニーさんがそのまま決裁するが、決着のつかないケースのために、秋に1日、冬に2日間、教授と専門職員の合同会議が開かれる。
カルテクでは20年ほど前に、受験者の面接を義務付けないことにした。試験官によって基準がまちまちであり、労力に比べて得られる情報が少ないと判断されたからである。その代わりに、教授と専門職員が志願書類を徹底的に分析する。私はカルテクで教鞭をとるようになって13年になるが、高い数理的能力を持ち、知的冒険心に富む学生を教えるのは喜びである。膨大なエネルギーを費やし、受験者を一人ひとり丁寧に評価することで、学生の質が支えられていることを、入試委員を務めて実感した。
by planckscale
| 2014-01-08 10:53