2016年 11月 30日
出家的な生き方 |
幻冬舎新書から 『真理の探究』 の見本がとどきました。副題は 「仏教と宇宙物理学の対話」。
店頭にも並び始めているそうです。
共著者の佐々木閑さんは、初期仏教についても深く研究されていて、その分野のお話を聞けたことも、私にとって収穫でした。
「仏・法・僧」を仏教の三宝といいますが、そのうちの「僧」は、僧侶のことではなく、もともとは出家したお坊さんの修行集団である「サンガ(僧伽)」のことだったそうです。
「自分は世界の中心にいない」ことを悟るための修業は、膨大な時間とエネルギーが必要なので、集中して修行をするにサンガという組織が必要だったのだそうです。
佐々木さんは、サンガが科学者の世界と似ているとおっしゃり、本書にも、
「科学者の目的は知的好奇心の充足ですが、そのための研究は片手間にやれるものではないでしょう。宇宙の真理を突き止めるには、極度に集中した状態を長時間にわたって持続する必要がある。だから、ふつうの仕事はやめて研究の世界で一生を過ごすことになるわけで、これはまさに出家的な生き方と言えます。釈迦が弟子たちに要求したのは、そういう生き方でした」
と書かれています。
そういわれてみると、確かに私の生活は「出家的な生き方」かもしれません。
科学的・合理的な考え方を身に着けることで、「自分は世界の中心にいない」ことを悟るというところにも、サンガの修行に通じるものがあるようです。
お読みいただけると嬉しいです。
⇒ アマゾンにも在庫が入荷し、販売が始まりました。
以下に、私の「あとがき」を転載しました。
あとがき
かつて日本のニュートリノ研究の指導者であり、特に2015年のノーベル物理学賞の授賞対象となった「ニュートリノ振動の発見」に大きな役割を果たされた故戸塚洋二氏が、お亡くなりになる1年前から書かれていたブログがあります。友人にご自身の病気の様子を連絡するためにつけられていた私的なものだったそうですが、立花隆氏が編集されたものが『がんと闘った科学者の記録』(文春文庫)として出版されていますので、そちらで読むこともできます。
戸塚氏は、佐々木閑先生が朝日新聞に連載されていたコラムに興味をもたれ、友人のつてでお会いになります。そして、仏教は超越者の存在を認めず、現象を法則性によって説明するというお話を聞かれて、「これはまさに現代科学と同じ原理ではないか」と感嘆されます。
そこで、2014年の秋に名古屋の中日文化センターから、「開設50周年の記念講座として佐々木先生との対談を開催したい」というご提案があったときは、喜んでお受けすることにしました、対談の準備として佐々木先生のご著書を読ませていただくと、合理的な考え方をされる方だということがよく分かり、これなら意味のある対話ができるのではないかと期待しました。
記念講座では、仏教について以前から知りたかったことを遠慮なく質問させていただきましたが、ひとつひとつに真摯にご対応くださいました。
「私自身、輪廻は信じておりませんから」
「それはつまり、私に死後の世界はない、ということを意味します」
といった直截なお答えに、「そこまでおっしゃってもよいのか」と驚くこともありました。
近代科学は、過去400年のあいだに、自然界についての私たちの理解を大きく進歩させ、またそれによって私たちの生活を改善してくれました。その一方で、科学の発見は、私たち人間を世界の中心から引きずりおろしました。数学的に表現された自然法則に従って機械的に進んでいく宇宙の中で、無数にある星のひとつの上に偶然生まれた私たちは、神のような超越的な存在から特別な役割を与えられているわけではない。伝統的な宗教を信じることができなくなった現代人は、「人生の意味はなにか」という問いに悩むことになります。
ところが、佐々木先生によると、釈迦はすでに2500年前に、「宇宙の真ん中に自分がいるという世界観が私たちの苦しみを生み出す根本原因だ」と見抜いていたのだそうです。
本書では、世界を正しく見ることでこの思い込みから脱却し煩悩を消すための釈迦の教えを、現代科学の立場から見直します。そして、合理的な考え方の現代人が、誰も生きる意味を与えてくれない世界の中で、絶望せずに生きるにはどうしたらよいかを語り合います。
釈迦の教えによって世界を見なおすることは、私にとっても思考のトレーニングになりました。私のぶしつけな質問に快く対応してくださった佐々木先生と、対話の機会を与えてくださった中日文化センターの皆さん、編集にご協力いただいた岡田仁志さん、対話を導いてくださった幻冬舎の小木田順子さんに感謝します。
店頭にも並び始めているそうです。
共著者の佐々木閑さんは、初期仏教についても深く研究されていて、その分野のお話を聞けたことも、私にとって収穫でした。
「仏・法・僧」を仏教の三宝といいますが、そのうちの「僧」は、僧侶のことではなく、もともとは出家したお坊さんの修行集団である「サンガ(僧伽)」のことだったそうです。
「自分は世界の中心にいない」ことを悟るための修業は、膨大な時間とエネルギーが必要なので、集中して修行をするにサンガという組織が必要だったのだそうです。
佐々木さんは、サンガが科学者の世界と似ているとおっしゃり、本書にも、
「科学者の目的は知的好奇心の充足ですが、そのための研究は片手間にやれるものではないでしょう。宇宙の真理を突き止めるには、極度に集中した状態を長時間にわたって持続する必要がある。だから、ふつうの仕事はやめて研究の世界で一生を過ごすことになるわけで、これはまさに出家的な生き方と言えます。釈迦が弟子たちに要求したのは、そういう生き方でした」
と書かれています。
そういわれてみると、確かに私の生活は「出家的な生き方」かもしれません。
科学的・合理的な考え方を身に着けることで、「自分は世界の中心にいない」ことを悟るというところにも、サンガの修行に通じるものがあるようです。
お読みいただけると嬉しいです。
⇒ アマゾンにも在庫が入荷し、販売が始まりました。
以下に、私の「あとがき」を転載しました。
あとがき
かつて日本のニュートリノ研究の指導者であり、特に2015年のノーベル物理学賞の授賞対象となった「ニュートリノ振動の発見」に大きな役割を果たされた故戸塚洋二氏が、お亡くなりになる1年前から書かれていたブログがあります。友人にご自身の病気の様子を連絡するためにつけられていた私的なものだったそうですが、立花隆氏が編集されたものが『がんと闘った科学者の記録』(文春文庫)として出版されていますので、そちらで読むこともできます。
戸塚氏は、佐々木閑先生が朝日新聞に連載されていたコラムに興味をもたれ、友人のつてでお会いになります。そして、仏教は超越者の存在を認めず、現象を法則性によって説明するというお話を聞かれて、「これはまさに現代科学と同じ原理ではないか」と感嘆されます。
そこで、2014年の秋に名古屋の中日文化センターから、「開設50周年の記念講座として佐々木先生との対談を開催したい」というご提案があったときは、喜んでお受けすることにしました、対談の準備として佐々木先生のご著書を読ませていただくと、合理的な考え方をされる方だということがよく分かり、これなら意味のある対話ができるのではないかと期待しました。
記念講座では、仏教について以前から知りたかったことを遠慮なく質問させていただきましたが、ひとつひとつに真摯にご対応くださいました。
「私自身、輪廻は信じておりませんから」
「それはつまり、私に死後の世界はない、ということを意味します」
といった直截なお答えに、「そこまでおっしゃってもよいのか」と驚くこともありました。
近代科学は、過去400年のあいだに、自然界についての私たちの理解を大きく進歩させ、またそれによって私たちの生活を改善してくれました。その一方で、科学の発見は、私たち人間を世界の中心から引きずりおろしました。数学的に表現された自然法則に従って機械的に進んでいく宇宙の中で、無数にある星のひとつの上に偶然生まれた私たちは、神のような超越的な存在から特別な役割を与えられているわけではない。伝統的な宗教を信じることができなくなった現代人は、「人生の意味はなにか」という問いに悩むことになります。
ところが、佐々木先生によると、釈迦はすでに2500年前に、「宇宙の真ん中に自分がいるという世界観が私たちの苦しみを生み出す根本原因だ」と見抜いていたのだそうです。
本書では、世界を正しく見ることでこの思い込みから脱却し煩悩を消すための釈迦の教えを、現代科学の立場から見直します。そして、合理的な考え方の現代人が、誰も生きる意味を与えてくれない世界の中で、絶望せずに生きるにはどうしたらよいかを語り合います。
釈迦の教えによって世界を見なおすることは、私にとっても思考のトレーニングになりました。私のぶしつけな質問に快く対応してくださった佐々木先生と、対話の機会を与えてくださった中日文化センターの皆さん、編集にご協力いただいた岡田仁志さん、対話を導いてくださった幻冬舎の小木田順子さんに感謝します。
by PlanckScale
| 2016-11-30 02:51