2009年 04月 20日
失われた時を求めて |

先日、東京の多摩六都未来館で一般講演をしたときに、研究をするときは日本語で考えるか、英語で考えるかと聞かれました。これまであまり意識していなかったことなので、納得のできる返答ができませんでした。今日、心理学の先生にお会いする機会があったのでお聞きしたところ、本当にバイリンガルの人は2ヶ国語を脳の別の部位で処理しているが、ある年齢に達してから外国語を学んだ人は母国語と外国語を同じ部位で処理するのだそうです。MRIを使って、脳のどの部分が活発に働いているかを調べた結果とのことです。私は中学校になってから英語を学んだので、日本語で考えるときも英語で考えるときも、脳の同じ部位を使っているようです。また、学問のことを考えるときには、それを学んだ言語で考えることが普通だそうです。私は、大学に入学してからこれまでのほぼ半分の期間を米国で過ごしているので、使っている言葉も半々でしょうか。
(ちなみに、IPMUの業務で村山機構長とメールをやり取りするときは、英語のほうが多いです。関係ありませんが。)
未来の自分を推測するのと、過去の自分のことを思い出すのにも、脳の同じ部位を使うのだそうです。このため、記憶は脳の中に映画フィルムのように保存されているのではなく、昔のことを思い出そうとするたびに、いろいろな情報からシミュレーションをして過去を再構成しているという説があるそうです。そもそも、過去の些細な出来事を思い出すことにどのような進化論的理由があるかは明らかではありませんが、未来のことを推測する能力が優れていると自然選択に勝ち抜きやすくなることは納得できます。過去を思い出す能力が、未来を推測する能力のおまけとして発達したと言う考え方なのだそうです。
いわゆる「作られた記憶」が本当の記憶と同じくらい明瞭であることも、脳が過去のことを毎回シミュレーションしていると考えれば理解できます。また、長いこと忘れていた出来事が、特定の刺激…たとえば、紅茶に浸したマドレーヌを口に運ぶこと…を受けることで、瞬時に思い出されるという現象も説明できるように思います。
脳が記憶をどのように保存してそれを再構成しているかというのは、面白い問題のようです。詳しい解説はこちらにあります。⇒ http://www.sciencenews.org/
by planckscale
| 2009-04-20 13:23