2010年 04月 15日
ボルツマン巡礼 |
ベルリンに帰ってきていましたが、アパートからexblogに接続できないでいます。どうやらセキュリティの設定のためのようです。直してもらっている間に、研究所のコンピュータから、ウィーン訪問の最後の部分をアップロードします。
先日、ウィーンの中央墓地に行ったときに、ルードビッヒ・ボツルマンのお墓の場所がわからないで帰ってきたと書きました。ベルリンに帰る飛行機に乗る前に時間があったので、再度訪問してみました。
前回、ホテルに帰ってからインターネットで検索をしたら、統計物理学と物性物理学の大家である久保亮五さんが1966年にボツルマンのお墓を訪問された記事を見つけました。久保さんの記事には、宿の番頭さんに聞いても場所がわからず、ウィーン大学も休みで問い合わせをする人も見つからず、あきらめてウィーンの町を歩いていたら、Zentral Friedhof(中央墓地)行きのトラムが通ったので、これに違いないと飛び乗ったとありました。
私が今回乗ったのは、71番。この電車は1907年から走っているそうなので、久保さんがお乗りになったのも同じ路線だと思います。ただし、Kaiserebersdorf行きとなっていたので、久保さんがいらしてから40数年の間に路線が延びたのでしょう。
中央墓地の第2門(中央門)で降ります。先日来たときには、ここで守衛さんにボルツマンのお墓の場所を尋ねたのですが、そんな人は知らない。著名人なら、この道をまっすぐ行った両側のどこかにお墓があるはずだと言われました。入り口にある掲示板にも、ブラームスやシューベルトをはじめ、政治家や作家の名前は載っていますが、ボツルマンは見当たりません。たぶんここにはないのだろうとあきらめたのが失敗でした。久保さんは、ここの事務所で帳簿を出してもらって調べたのだそうです。
今回は、あらかじめインターネットで調べて、14C地区にあると知っていたのでそちらに向かうと、門から中央の教会に向かう大通りのすぐ横にあるではありませんか。前回訪問したときにも、ここは通っていたはずなのに。ここにはないものだと思い込んでいて、見逃したのでしょう。
ボツルマンのお墓には、エントロピーのミクロな定義を与え、統計力学の基礎を確立した公式、S = k log W が金文字で刻まれています。

久保さんがボルツマンの墓をご訪問になったのは、これが S = k log W となっているのか、S = R log W かを確かめるためだったのだそうです。私も大学生のときに勉強した久保さんの名著『大学演習 熱学・統計力学』に、コラム記事としてボツルマンのお墓にエントロピーの公式が刻まれているという話が載っています。この本が英訳されたときに、公式のボルツマン定数 k が、英語版の編集者によって気体定数 R に直されたのだそうです。それが気になって、ご自身で確かめようと、ブダペストからプラハに行かれる途中に、ウィーンにお立ち寄りになったとのことでした。百聞は一見にしかず。
もちろんボルツマン定数を使った式の方が普遍的なので、墓碑に刻むのにはこれが適切です。ボルツマン定数は、ボルツマンにちなんで k の下に B をつけることもありますが、お墓では k とだけなっていました。その後についているピリオドは掛け算の意味でしょうか。
バラの花を一本お供えしました。お墓は手が行き届いているようで、きれいに清掃され、チューリップが咲いていました。
ちなみに、ボルツマンの宿敵だったエルンスト・マッハは、引退後に長男の住むミュンヘンに移り住んだため、お墓はミュンヘンの近郊にあるそうです。
また、エルビン・シュレディンガーはウィーンで亡くなりましたが、お墓はチロル地方のアルプバッハにあるそうです。お墓には、もちろんシュレディンガー方程式が書いてあるそうです。
先日、ウィーンの中央墓地に行ったときに、ルードビッヒ・ボツルマンのお墓の場所がわからないで帰ってきたと書きました。ベルリンに帰る飛行機に乗る前に時間があったので、再度訪問してみました。

私が今回乗ったのは、71番。この電車は1907年から走っているそうなので、久保さんがお乗りになったのも同じ路線だと思います。ただし、Kaiserebersdorf行きとなっていたので、久保さんがいらしてから40数年の間に路線が延びたのでしょう。


ボツルマンのお墓には、エントロピーのミクロな定義を与え、統計力学の基礎を確立した公式、S = k log W が金文字で刻まれています。


もちろんボルツマン定数を使った式の方が普遍的なので、墓碑に刻むのにはこれが適切です。ボルツマン定数は、ボルツマンにちなんで k の下に B をつけることもありますが、お墓では k とだけなっていました。その後についているピリオドは掛け算の意味でしょうか。

ちなみに、ボルツマンの宿敵だったエルンスト・マッハは、引退後に長男の住むミュンヘンに移り住んだため、お墓はミュンヘンの近郊にあるそうです。
また、エルビン・シュレディンガーはウィーンで亡くなりましたが、お墓はチロル地方のアルプバッハにあるそうです。お墓には、もちろんシュレディンガー方程式が書いてあるそうです。


by planckscale
| 2010-04-15 19:10