2010年 06月 14日
閉鎖された17番線 |
グリュネバルトの駅はベルリンからポツダムの研究所への通勤で毎日通りますが、最近になるまでその17番線について知りませんでした。第2次世界大戦中の1941年から1945年のあいだには、5万人以上のユダヤ人がこのプラットホームからアウシュビッツなどの収容所に送られたのだそうです。現在はこの線路は閉鎖されていて、負の歴史遺産として保存されています。
ベルリンには、各所にホロコーストの記念碑があります。私の滞在しているアパートの前の歩道にも、ここに住んでいて強制収容所に送られて亡くなったユダヤ人の名前を刻んだ石が埋められています。これはStolperstein(躓きの石)と呼ばれて、ドイツ各所に2万個以上埋められているそうです。
右の写真は、コッペン広場にある「放棄された部屋」の記念碑。突然にユダヤ人が連れ去られていった部屋を表現しているのだそうです。
先月訪問したポーランドのクラクフの広場には、たくさんの椅子をならべたホロコーストの記念碑がありました。ゲットーに住むユダヤ人が強制収用されたときに、残された家具が広場に積み上げられたという史実を表しているのだそうです。
先週訪問したボン大学では、近代の偉大な数学者の1人でボン大学の教授であったフェリックス・ハウスドルフが、74歳になった1942年に強制収容所に送られることが不可避になって自殺に追い込まれたという話を聞きました。ハウスドルフと言えば、集合論や測度論、たとえば連続体仮説についての業績や、ハウスドルフ空間を定義して現代的なトポロジーの基礎を築いたこと、またフラクタルの理論で活躍するハウスドルフ測度やハウスドルフ次元などで、数学の教科書によく登場します。このような人までが収容所送りの対象になったということに驚きました。
ベルリンには、各所にホロコーストの記念碑があります。私の滞在しているアパートの前の歩道にも、ここに住んでいて強制収容所に送られて亡くなったユダヤ人の名前を刻んだ石が埋められています。これはStolperstein(躓きの石)と呼ばれて、ドイツ各所に2万個以上埋められているそうです。
右の写真は、コッペン広場にある「放棄された部屋」の記念碑。突然にユダヤ人が連れ去られていった部屋を表現しているのだそうです。
先月訪問したポーランドのクラクフの広場には、たくさんの椅子をならべたホロコーストの記念碑がありました。ゲットーに住むユダヤ人が強制収用されたときに、残された家具が広場に積み上げられたという史実を表しているのだそうです。
先週訪問したボン大学では、近代の偉大な数学者の1人でボン大学の教授であったフェリックス・ハウスドルフが、74歳になった1942年に強制収容所に送られることが不可避になって自殺に追い込まれたという話を聞きました。ハウスドルフと言えば、集合論や測度論、たとえば連続体仮説についての業績や、ハウスドルフ空間を定義して現代的なトポロジーの基礎を築いたこと、またフラクタルの理論で活躍するハウスドルフ測度やハウスドルフ次元などで、数学の教科書によく登場します。このような人までが収容所送りの対象になったということに驚きました。
by planckscale
| 2010-06-14 06:22