2010年 07月 25日
説か理論か |

アスペンでの超弦理論のワークショップは今週で終わりなので、昨日は今週でお帰りになる参加者の方々とご挨拶をしました。私はもう一週間アスペンに滞在します。
昨晩はミュージック・テントでベートーベンのバイオリン協奏曲とグリーグの交響曲を聴きました。グリーグの交響曲は生前は演奏されることもなく、遺言で封印されていたそうですが、1980年に旧ソビエト連邦の指揮者がコピーを手に入れてを演奏を行ったために、遺言の信託管理人が公開を決めたのだそうです。
今日は、大陸分水嶺の近くにあるリンキン湖までハイキングに行きました。簡単なコースですが、標高は富士山の頂上ぐらいあるので、息が切れます。帰りには、氷河期の氷が削ってできたという洞窟にも行きました。去年も行きましたが、今夏は冬の氷がまだ残っていました。
さて、先日の気候変動についての公開講演会では、講演の後にいろいろな質問が出ましたが、科学者の言葉と一般の人たちの言葉の使い方の違いが誤解を生むこともあるようです。たとえば、「人間の活動を原因とする気候変動が起きているという証明はあるのか」という質問が出ましたが、科学者の間では、証明という言葉は数学の定理以外に使うことはないと思います。高エネルギー物理学実験では、標準偏差の5倍を超えた現象が起きたときにはじめて発見と呼べるそうですが、それでもこの理論が証明されたという言い方はしないと思います。検証されたと言う事はありますが、意味は違います。
気候変動に関して科学者にできることのひとつは、予言の確からしさを数値的に評価することで、その予言をどのような政策に結び付けるかは、確率とリスクを天秤にかける政治的な判断だと思います。ただ、その判断の前提となる確率の考え方が正しく伝わっていないと判断を誤ることになるので、科学者と一般の人たちの言葉の使い方の違いに気をつける必要があると思います。
米国では、気候変動と並んでよく論議になる話題にダーウィンの進化論があります。保守的な地域では、教育委員会がキリスト教の教義(もしくは、それを科学風に改装したもの)を進化論と並立して教えさせようとして、裁判沙汰になることもあります。進化論は英語では"Theory of Evolution"と呼びます。私には英語の微妙なところはわかりませんが、Theory というと、なにかはっきり確立されていない推論というときに使うこともあるようです。日本語では「理論」というより「説」という感じでしょうか。そこで、「たかが Theory じゃないか。それだったら、他の説もおしえないと。」という議論になるわけです。
by planckscale
| 2010-07-25 06:57









