2012年 08月 30日
役に立たない研究の効能 |

フンボルト大学の理工系キャンパスの近く、ベルリンの南東部の湖沼地帯にある会議施設に滞在しています。ドイツが東西に分かれていた時代から、東ベルリンで毎年開催されてきた素粒子論の国際会議で、東西統一後も続き、今年で第41回目だそうです。
ベルリンには2010年の春に3ヶ月滞在したので、懐かしいところです。
⇒ 当時のブログ
左の写真は、会議場の庭から湖をながめたことろです。ルネ・マグリットの絵のような風景だったので、貼ってみました。
さて、日本数学会が年に4回刊行している『数学通信』の2012年夏季号に、巻頭言を書きました。
タイトルは「役に立たない研究の効能」。編集部のご了承を得て、ここに転載します。
役に立たない研究の効能
一昨年の秋に、カリフォルニア工科大学の数学教室の方々から数学教授を併任にならないかと聞かれました。私は物理学者として教育を受け、まともな定理を証明したこともないので最初はご辞退しましたが、数学への貢献の仕方もいろいろあるからと言われてお受けすることにしました。
数年前に日本数学会の会員にも加えていただいていたところ、今回は数学通信の巻頭言を書くようにとのありがたいご依頼をいただきました。数学者でない私に、本誌の読者の多くの方々と共有できる話題には何があるだろうかと思案し、役に立たない研究の効用ということを思いつきました。
もちろん、直接役に立つ応用数学を研究されている方もいらっしゃるので、役に立たない研究が共通の話題というのは乱暴かもしれません。しかし、本誌では純粋数学の記事をよく拝見するので、このような研究の効能について語るのも的外れではないかと思いました。
純粋な好奇心から生まれた数学や科学の発見が、思いがけない応用を持つことはよくあることです。19世紀に電磁誘導を発見したマイケル・ファラデーは、当時の財務大臣であったウィリアム・グラッドストーンに
「電気にはどのような実用的価値があるのか」
と問われ、
「何の役に立つかはわからないが、あなたがそれに税金をかけるようになることは間違いない」
と答えたと伝えられています。
ファラデーの発見は、電気力と磁気力とが密接に関連していることを明らかにし、この二つの力はマクスウェルにより一組の方程式にまとめられました。そして、ファラデーとグラッドストーンとの会話の半世紀後には、電気と磁気との統一により電磁波が発見され、グリエルモ・マルコーニによって大西洋を横断する無線通信が実現されました。ファラデーやマクスウェルの好奇心による発見が、今日の情報社会の基礎となる技術を生み出したのです。
「役に立たない知識の効用」と言えば、プリンストン高等研究所の初代所長であったアブラハム・フレクスナーが1939年に雑誌『ハーパーズ』に寄稿した記事の題名でもあります。フレクスナーは、電磁気の統一から無線通信が生まれたという上記のエピソードなどを例に取り、
「科学の歴史において、人類に利益をもたらした重要な発見のほとんどは、役に立つためではなく、自分自身の好奇心を満たすために研究にかきたてられた人々によって成し遂げられた」、
また
「このように役に立たない活動から生まれた発見は、役に立つことを目的として成し遂げられたことよりも、無限に大きな重要性を持つことがある」
と述べています。
これは70年も昔の記事ですから、もっと最近の引用をしましょう。カリフォルニア工科大学の学長であるジャン=ルー・シャモーは、今年春に次のようなスピーチをしています。
「科学の研究が何をもたらすかを予め予測することはできないが、真のイノベーションは人々が自由な心と集中力を持って夢を見ることのできる環境から生まれることは確かである」
「一見役に立たないような知識の追求や好奇心を応援することは、わが国の利益になることであり、守り育てていかなければいけない」
数学や理論物理学などの研究を目的とする高等研究所の初代所長のフレクスナーが役に立たない研究の弁護をするのは当然と言えるかも知れませんが、土木工学を専攻とするシャモー学長がこれを奨励するのには説得力があります。しかも、これが米国の利益になるというのです。役に立たない研究の重要性を理解してもらう素地は十分にあるのだと思います。
しかし、こうしたフレクスナーやシャモーの引用に違和感をおぼえる方もいらっしゃるかも知れません。数学や基礎科学の研究はそれ自身の価値のために行うもので、「思いがけない応用」などを持ち出す必要などないと思われるかもしれません。
確かに、科学は人類を迷信や偏見から解放し、また私たちの心を豊かにしてきました。アンリ・ポアンカレが「科学のための科学」を擁護したことも有名です。フレクスナーやシャモーも、思いがけない応用を目指して研究せよといっているわけではありません。たとえば、フレクスナーは同じ記事の中で、数学の研究は「個人の魂を浄化し高めることによる満足感だけで正当化できるものである」と明確に述べています。
その一方で、思いがけない応用があるからといって、好奇心による研究の価値が減ぜられるわけではありません。発見の価値の評価の仕方にもいろいろありますが、それがどれだけ幅広い分野に影響を与えるか、またどれだけ新しい研究を触発するかということも、ひとつの目安だと思います。
ポアンカレ自身も、「価値のある科学」とはより普遍的な法則を見つけることである。そして普遍的な科学に価値があるのは、それがさらに多くの科学の説明につながるからであると述べています。このように普遍的な価値のある発見が、長い目で見て、実用方面にも応用を持つようになることは自然なことだと思います。
私が所属するカリフォルニア工科大学は私立大学なので、財団や篤志家に基礎研究の意義を説明する機会がよくあります。その際に、
「このような研究が精神的な豊かさをもたらすことはわかるが、それが人々の生活をどのように改善することになるのかも知りたい」
ということをよく聞かれます。後者のような理由のほうが、幅広い支援を得やすいという親切なアドバイスなのだと思います。このようなときには、「興味の赴くままに研究しているのだ」と突き放すのではなく、質問の意図を真摯に受け止めて、基礎科学の普遍的価値について丁寧に説明するようにしています。
日本では、数学や科学の基礎研究のほとんどは国民の税金で行われているので、納税者がクライアントになります。その代表者に
「十年後にどのようなリターンがあるのか」
と聞かれたときに慌てふためかなくてもよいように、日ごろから基礎研究の重要性を広く伝える努力が必要だと思います。
最近の日本の風潮を見ると小手先のイノベーションの奨励が目に付きます。私たちが日々手にふれるもののほとんどすべては、科学の成果によって開発されたり改善されたりしたもので、さらなる進歩のためには基礎から応用につながる幅広いポートフォリオが必要です。イノベーションがやせ細らないように、「役に立たない研究」を行う大学や研究所の果たすべき役割は大きいと思います。


by planckscale
| 2012-08-30 06:26