2013年 01月 30日
ヒッグス粒子発見の本当の意義 |
幻冬舎新書 『強い力と弱い力 ― ヒッグス粒子が宇宙にかけた魔法を解く』 が出版されました。店頭にも並んでいるそうです。
早速、アルファ・ブロガーの小飼弾さんが、書評を書いてくださいました。
⇒ 404 Blog Not Found : 「人類やるじゃない!」― 書評 ― 強い力と弱い力
読了後、読者の心は「よくぞそこまでたどり着いた」という「状態」と「まだそこまでしかたどり付いてないのか」という「状態」が、シュレーディンガーの猫のごとく同時で満たされるはず。
との評は、素粒子の世界についての私たちの理解の現状をうまく表しています。
前著『重力とは何か』でご紹介した一般相対論は、稀代の天才アインシュタインが、一人で構想し、一人で完成させた美しい理論です。
これに対し、素粒子の標準模型は、40名以上のノーベル賞受賞者を含む数多くの物理学者が、何世代もかけて試行錯誤の末に作り上げたものです。しかし、私は一般相対論よりも深い内容を持った理論だと思います。私はこの理論を学んだときに、自然はなんと精妙にできているのかと感銘を受けました。
小飼さんは、私のこのような思いを、
「あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!」
という言葉で表現されました。荒木飛呂彦さんの漫画『ジョジョの奇妙な冒険』からの引用だそうですが、本書で私が伝えようとした気持ちはまさしくこれです。
昨年の7月4日にCERNで発表されたヒッグス粒子の発見により、素粒子の標準模型は完成しました。しかし、素粒子の理解は、まだまだ道半ばです。暗黒物質や暗黒エネルギー、そして素粒子の世界と重力の世界の統合という大きなフロンティアが広がっているのです。
「それでも見過ごしがたい何かが、そこにある。」(404 Blog Not Found)
自然の美しい姿を解き明かす、私たちの旅の経過報告をお楽しみください。
以下に、本書の「あとがき」を転載しました。「あとがき」と書いてあるところをクリックしていただくと開きます。
あとがき
ヒッグス場の理論を使って弱い力と電磁気力の統一に成功し、標準模型の完成に王手をかけたスティーブン・ワインバーグは、その名著『宇宙創成はじめの三分間』の最後に、次のように記しています。
宇宙のことがわかるにつれて、そこには意味がないように思えてくる。
私たち人間は太古から、各々に与えられた短い時間を生きることの意味を見出そうとしてきました。しかし、ガリレオやニュートンに始まる過去400年間の科学の発展により、私たちの知る限り、宇宙を支配しているのは数学的に表現された自然法則であることがわかりました。この法則に支配されて進行してゆく宇宙のドラマにおいて、人間は小さな星の上に偶然現れた存在であり、何か特別な役割があたえられているわけではない。宇宙の中に意味を見出すことはできないというのが、ワインバーグの結論でした。
このような冷徹な自然観は、有限の人生を生きなければならない人間にとって、悲観的なものであるといえるかもしれません。しかし、シェークスピアの悲劇の主人公とは異なり、私たちにはあらかじめ脚本が書かれているわけではありません。宇宙自身に意味がないのなら、私たちが主体的に、その生き方によって意味を見出せばよいのです。
科学の方法によって自然界の仕組みを探り、宇宙の中で私たちがどのような存在であるかを知ることは、私たちの人生を豊かなものにします。私の専門の素粒子論でも、困難な計算に取り組んでいて硬い岩の間に裂け目が見つかり光が差し込んだり、ふと思いついたアイデアで一瞬にして展望が広がったりすることがあります。研究室の帰りに夜空の星をながめながら、この答えを知っているのは世界に自分しかいないという感動を覚えることは、研究者なら誰しも経験することでしょう。そこには意味があると私は思います。
アルベルト・アインシュタインは伝統的な意味の宗教の信者ではありませんでしたが、自然には発見されるべき合理的な法則が存在すると信じ、その法則を探求することを人生の目的としていました。そして、そのような法則は人知のおよぶものであるとして、
神は老獪であるが悪意はない
という有名な言葉を残しています。この言葉の意味を問われた彼は、「自然がその秘密を隠すのは、本質のしからしめる高貴さのためであって、策略のためではない」と答えています。
本書のテーマは、まさしく老獪な神によって隠された弱い力の美しい対称性を、物理学者たちが数々の苦難を乗り越え、人知を尽くして解き明かしてきた歴史でした。そして、その実験的検証の最後のステップであるヒッグス粒子がついに発見されたことは、神には悪意はなく、自然には合理的な法則があることの現われだと思います。
このヒッグス粒子の発見には、科学者や技術者の努力だけでなく、LHC実験に参加した日本を含む各国の支援が必要でした。日本の一般の人々も、選挙で選ばれた代表者を通じてこのような基礎研究の意義を認め、そのための資金を分担することで、自然の最も深い真実を科学の方法で発見するという壮大な知的冒険に参加されたのです。このニュースは新聞の一面に取りあげられ、大きな関心を呼び起こしました。発見の喜びを分かち合えたのは、すばらしいことでした。しかし、その成果を伝えるはずの解説記事を読んで、「ヒッグス粒子の説明に水飴はないだろう」と残念にも思いました。私たち物理学者が知っているヒッグス粒子とは全く異なるものだからです。もっときちんとした説明ができるはずだ、というのが本書の執筆の動機でした。執筆の際に常に心においていたのは、読者に敬意を持って接するということでした。理を尽くして説明すれば理解してもらえるはずだと信じて書きました。
本書は、「質量とは何か」とか「力とは何か」といった基礎のところから説き起こし、40名以上のノーベル賞受賞者を含む数多くの物理学者が何世代もかけて築き上げた素粒子の標準模型の全貌を解説し、ヒッグス粒子発見の本当の意義を理解していただこうという野心的なプロジェクトでした。そのために、全体の構成を何度も練り直し、たとえ話などについても新しい工夫をしました。前著『重力とは何か』に続いて、編集にご協力いただいた岡田仁志さん、ありがとうございました。大切だと思うことは丁寧に説明するようにしたので、幻冬舎新書編集長の小木田順子さんは、ドロップボックスに置いた原稿がどんどん長くなっていくのを、ハラハラしながら眺めていらしたのではないかと思います。うまく手綱をとってくださったおかげで、新書一冊の分量に収めることができました。
素粒子の標準模型の話題は多岐にわたるので、正確さを期するために、さまざまな分野の専門家にご相談しました。特に、カリフォルニア工科大学で標準模型の拡張や暗黒物質の解明に取り組んでいるゴードン・ムーア研究員の石渡弘治さんには、本書の原稿に目を通していただき、貴重なご意見をいただきました。ありがとうございました。本書の内容についての責任は、私が負うことは言うまでもありません。
素人代表として原稿を読んでくれた、文系出身の妻にも感謝します。「数学の力で自然の深い真実を探るって言っていたのは、こういう意味だったのね」との読後感想に、銀婚式間近にしてようやく解ってくれたかと思いました。
標準模型は完成しましたが、自然の基本法則の探求はまだ道半ばです。私たちは、宇宙の5パーセントしか知らない。残りの95パーセントにも、発見されるべき合理的な法則が存在するはずです。老獪な神が隠した自然の美しい姿を解き明かす旅がまた始まります。
早速、アルファ・ブロガーの小飼弾さんが、書評を書いてくださいました。
⇒ 404 Blog Not Found : 「人類やるじゃない!」― 書評 ― 強い力と弱い力
読了後、読者の心は「よくぞそこまでたどり着いた」という「状態」と「まだそこまでしかたどり付いてないのか」という「状態」が、シュレーディンガーの猫のごとく同時で満たされるはず。
との評は、素粒子の世界についての私たちの理解の現状をうまく表しています。
前著『重力とは何か』でご紹介した一般相対論は、稀代の天才アインシュタインが、一人で構想し、一人で完成させた美しい理論です。
これに対し、素粒子の標準模型は、40名以上のノーベル賞受賞者を含む数多くの物理学者が、何世代もかけて試行錯誤の末に作り上げたものです。しかし、私は一般相対論よりも深い内容を持った理論だと思います。私はこの理論を学んだときに、自然はなんと精妙にできているのかと感銘を受けました。
小飼さんは、私のこのような思いを、
「あ…ありのまま 今起こった事を話すぜ!」
という言葉で表現されました。荒木飛呂彦さんの漫画『ジョジョの奇妙な冒険』からの引用だそうですが、本書で私が伝えようとした気持ちはまさしくこれです。
昨年の7月4日にCERNで発表されたヒッグス粒子の発見により、素粒子の標準模型は完成しました。しかし、素粒子の理解は、まだまだ道半ばです。暗黒物質や暗黒エネルギー、そして素粒子の世界と重力の世界の統合という大きなフロンティアが広がっているのです。
「それでも見過ごしがたい何かが、そこにある。」(404 Blog Not Found)
自然の美しい姿を解き明かす、私たちの旅の経過報告をお楽しみください。
以下に、本書の「あとがき」を転載しました。「あとがき」と書いてあるところをクリックしていただくと開きます。
あとがき
ヒッグス場の理論を使って弱い力と電磁気力の統一に成功し、標準模型の完成に王手をかけたスティーブン・ワインバーグは、その名著『宇宙創成はじめの三分間』の最後に、次のように記しています。
宇宙のことがわかるにつれて、そこには意味がないように思えてくる。
私たち人間は太古から、各々に与えられた短い時間を生きることの意味を見出そうとしてきました。しかし、ガリレオやニュートンに始まる過去400年間の科学の発展により、私たちの知る限り、宇宙を支配しているのは数学的に表現された自然法則であることがわかりました。この法則に支配されて進行してゆく宇宙のドラマにおいて、人間は小さな星の上に偶然現れた存在であり、何か特別な役割があたえられているわけではない。宇宙の中に意味を見出すことはできないというのが、ワインバーグの結論でした。
このような冷徹な自然観は、有限の人生を生きなければならない人間にとって、悲観的なものであるといえるかもしれません。しかし、シェークスピアの悲劇の主人公とは異なり、私たちにはあらかじめ脚本が書かれているわけではありません。宇宙自身に意味がないのなら、私たちが主体的に、その生き方によって意味を見出せばよいのです。
科学の方法によって自然界の仕組みを探り、宇宙の中で私たちがどのような存在であるかを知ることは、私たちの人生を豊かなものにします。私の専門の素粒子論でも、困難な計算に取り組んでいて硬い岩の間に裂け目が見つかり光が差し込んだり、ふと思いついたアイデアで一瞬にして展望が広がったりすることがあります。研究室の帰りに夜空の星をながめながら、この答えを知っているのは世界に自分しかいないという感動を覚えることは、研究者なら誰しも経験することでしょう。そこには意味があると私は思います。
アルベルト・アインシュタインは伝統的な意味の宗教の信者ではありませんでしたが、自然には発見されるべき合理的な法則が存在すると信じ、その法則を探求することを人生の目的としていました。そして、そのような法則は人知のおよぶものであるとして、
神は老獪であるが悪意はない
という有名な言葉を残しています。この言葉の意味を問われた彼は、「自然がその秘密を隠すのは、本質のしからしめる高貴さのためであって、策略のためではない」と答えています。
本書のテーマは、まさしく老獪な神によって隠された弱い力の美しい対称性を、物理学者たちが数々の苦難を乗り越え、人知を尽くして解き明かしてきた歴史でした。そして、その実験的検証の最後のステップであるヒッグス粒子がついに発見されたことは、神には悪意はなく、自然には合理的な法則があることの現われだと思います。
このヒッグス粒子の発見には、科学者や技術者の努力だけでなく、LHC実験に参加した日本を含む各国の支援が必要でした。日本の一般の人々も、選挙で選ばれた代表者を通じてこのような基礎研究の意義を認め、そのための資金を分担することで、自然の最も深い真実を科学の方法で発見するという壮大な知的冒険に参加されたのです。このニュースは新聞の一面に取りあげられ、大きな関心を呼び起こしました。発見の喜びを分かち合えたのは、すばらしいことでした。しかし、その成果を伝えるはずの解説記事を読んで、「ヒッグス粒子の説明に水飴はないだろう」と残念にも思いました。私たち物理学者が知っているヒッグス粒子とは全く異なるものだからです。もっときちんとした説明ができるはずだ、というのが本書の執筆の動機でした。執筆の際に常に心においていたのは、読者に敬意を持って接するということでした。理を尽くして説明すれば理解してもらえるはずだと信じて書きました。
本書は、「質量とは何か」とか「力とは何か」といった基礎のところから説き起こし、40名以上のノーベル賞受賞者を含む数多くの物理学者が何世代もかけて築き上げた素粒子の標準模型の全貌を解説し、ヒッグス粒子発見の本当の意義を理解していただこうという野心的なプロジェクトでした。そのために、全体の構成を何度も練り直し、たとえ話などについても新しい工夫をしました。前著『重力とは何か』に続いて、編集にご協力いただいた岡田仁志さん、ありがとうございました。大切だと思うことは丁寧に説明するようにしたので、幻冬舎新書編集長の小木田順子さんは、ドロップボックスに置いた原稿がどんどん長くなっていくのを、ハラハラしながら眺めていらしたのではないかと思います。うまく手綱をとってくださったおかげで、新書一冊の分量に収めることができました。
素粒子の標準模型の話題は多岐にわたるので、正確さを期するために、さまざまな分野の専門家にご相談しました。特に、カリフォルニア工科大学で標準模型の拡張や暗黒物質の解明に取り組んでいるゴードン・ムーア研究員の石渡弘治さんには、本書の原稿に目を通していただき、貴重なご意見をいただきました。ありがとうございました。本書の内容についての責任は、私が負うことは言うまでもありません。
素人代表として原稿を読んでくれた、文系出身の妻にも感謝します。「数学の力で自然の深い真実を探るって言っていたのは、こういう意味だったのね」との読後感想に、銀婚式間近にしてようやく解ってくれたかと思いました。
標準模型は完成しましたが、自然の基本法則の探求はまだ道半ばです。私たちは、宇宙の5パーセントしか知らない。残りの95パーセントにも、発見されるべき合理的な法則が存在するはずです。老獪な神が隠した自然の美しい姿を解き明かす旅がまた始まります。
by planckscale
| 2013-01-30 12:18