2013年 10月 27日
ついに太陽系脱出 ボイジャー36年の強運 |
朝日新聞WEBRONZAに寄稿した記事「ついに太陽系脱出 ボイジャー36年の強運」(9月17日)を公開します。
9月13日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事「ボイジャー太陽系脱出」を読み、ついにここまで来たかという感動をおぼえた。
今から36年前の1977年の夏、ボイジャー1号と2号はフロリダ州のケープ・カナベラルから木星に向けて発射された。飛び立ったのは2号が先だったが、途中で追い越して木星に先に近づいた方が1号と呼ばれている。当初の目的は木星と土星の探査のみで、耐用期限は5年と設定されていた。しかし、探査が成功して予算が追加され、2機はさらに遠くへ向かった。1号はそのまま太陽系外に進んだが、2号は冥王星と海王星の探査も行うことができた。
地球表面から打ち出された物体が、重力に逆らって太陽系を脱出するためには、発射時に秒速16.7キロメートル以上でなければならない。しかし、ボイジャー1号と2号が地球を飛び立ったときの速さはこれに満たなかった。しかも、姿勢制御と軌道補正のための小さなエンジンしか搭載されていない。そこで、「スイングバイ」という技術が採用された。これは、惑星の近くを通り過ぎるときに、万有引力によって惑星に引っ張られ、惑星の公転運動を利用して速度を変化させるという方法である。ボイジャー1号と2号は、木星でのスイングバイによって運動エネルギーを増加させ、太陽系からの脱出速度に達した。また、木星、土星、天王星と海王星は各々太陽の周りを異なる速さで公転しているが、175年に一度、太陽に向けてほぼ一列に並ぶ。1982年にこの「惑星直列」が起きたので、ボイジャー2号は飛び石のようにスイングバイをして、次々に惑星を訪れることができた。2世紀に一度のチャンスであった。
1990年、太陽から60億キロメートル離れた位置にあったボイジャー1号は、最後にもう一度振り返り、太陽と6つの惑星を連続写真として撮影した。この写真では、地球は漆黒の宇宙に浮かぶ青い点にすぎない。この「太陽系家族写真」を別れの挨拶として、偉大な宇宙探査プロジェクトも終わりを告げたかと思われた。
しかし、冥王星 ( もはや惑星の仲間ではない。日本学術会議は「準惑星」と呼ぶことを勧めている ) の属するカイパーベルトを超えても、ボイジャーは機能し続けた。電力とメモリーを節約するために姿勢制御システムは停止させたが、太陽のコロナから発せられているイオン化された原子の流れである太陽風と磁場を観測し、出力わずか23ワットの通信機で地球と連絡を取ることができた。
太陽系の端とはどこにあるのか。私たちの太陽系は、天の川銀河の中を移動している。銀河の星の間には、星間物質と呼ばれるプラズマがある。一方、太陽からは太陽風が吹いている。太陽風が星間物質に出会うときに起きるのは、台所のシンクに蛇口から水を出した時の現象と似ている。蛇口から落ちてきた水は、シンクの底に当たって水平に拡がる。しかし、シンクに水がたまってくると、ある大きさの輪ができる。輪の端に水の段ができて、その内側では水が勢いよく広がっていくが、その外側では水の動きは見られない。蛇口から落ちた水が広がっていくにつれて勢いがなくなり、あるところで外側にたまった水の圧力に負けてしまうのである。このときにできる輪が「末端衝撃波面」である。太陽風が星間物質に出会うときにも、末端衝撃波面ができる。これが太陽系の端である。その内側が「太陽圏」、その外側が星間空間。ボイジャーが太陽系を脱出したというのは、末端衝撃波面を超えたということである。
このボイジャー計画を推進してきたのは、私の所属するカリフォルニア工科大学(カルテク)の一部門のジェット推進研究所(JPL)である。JPLは第2次世界大戦直前にカルテクに立ち上げられたロケット研究グループに始まり、現在では米航空宇宙局(NASA)の無人宇宙探査を一手に引き受けている。1972年から現在に至るまでボイジャー計画の科学主任であり、JPLの所長も務めたエドワード・ストーン教授は、この分野の英雄である。私は2000年にカルテクの教授に着任したとき、即座にストーン教授に面会をお願いした。当時のお話では、電池が働いている間にボイジャーが太陽圏を脱出できるか微妙だという印象だった。
気象が変化するように、太陽風の強さも時間とともに変化している。もし太陽風が強くなると、太陽圏が膨張し、末端衝撃波面も遠ざかる。一方、ボイジャーに搭載されているプルトニウム電池は毎年4ワットずつ電力が下がる。末端衝撃波面に到達するまでボイジャーの電池が使えるかどうかは時間との戦いである。幸いにして大きな太陽風は起きず、観測データの解析から、ボイジャー1号は昨年の夏に末端衝撃面を超え、星間空間に突入したことが明らかになったというのが今回のニュースである。
ストーン教授は、「この歴史的一歩を記したことは、星間空間を探索するというボイジャーの新しい使命の始まりでもあり、興奮させられる」と語っている。これまで望遠鏡でしか見ることのできなかった星間空間の世界が、人類の作った探査機で直接観察できるようになったのだ。2020年ごろまでは星間空間の観測が続けられるという。また、数年後には2号も太陽圏を脱出するはずである。
私事であるが、ボイジャー1号と2号が木星に近づいたときには私は高校生、土星の観測をしていたのは大学生のときだった。その後、2号が天王星を通過したときに大学院で素粒子論の研究をはじめ、海王星に到達した年に博士号を授与された。私は、ボイジャーの太陽系の旅とともに、科学者として成長してきたように思う。太陽圏を越えたボイジャーが、まだまだがんばっているのは心強い。
宇宙の無人探査は、多くの科学的成果をもたらしてきた。宇宙に打ち上げられた数々の望遠鏡や観測機は、太陽系内の惑星探査のみならず、遠くにある星や銀河、また宇宙の始まりや終わりについての新しい情報を私たちに与えている。無人探査は費用効率が高く、またボイジャー計画のように途中で計画を変更できる柔軟性もある。しかし、その将来は必ずしも明るいものではない。米国では、財政状況の悪化と、ハッブル宇宙望遠鏡の後継機であるジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡計画の費用膨張によって、次期無人探査計画の予算が圧迫されている。重力波を宇宙で観測しようという宇宙重力波望遠鏡計画も、JPLが欧州宇宙機関と共同して開発していたが、予算削減によってJPLは撤退せざるをえなくなった。重力の謎を解きたいと研究を続けている一人として、残念というしかない。
そんなとき、新型ロケット「イプシロン」打ち上げ成功のニュースが飛び込んできた。高性能・低コストのロケット技術の実現で、宇宙開発への夢が膨らむ。今回搭載されている衛星は、金星や火星、木星の大気や磁気を観測するという。ボイジャー計画を越える21世紀の宇宙探索が、日本の創造力と技術力から生まれることを期待したい。
9月13日の朝日新聞朝刊の一面トップ記事「ボイジャー太陽系脱出」を読み、ついにここまで来たかという感動をおぼえた。
今から36年前の1977年の夏、ボイジャー1号と2号はフロリダ州のケープ・カナベラルから木星に向けて発射された。飛び立ったのは2号が先だったが、途中で追い越して木星に先に近づいた方が1号と呼ばれている。当初の目的は木星と土星の探査のみで、耐用期限は5年と設定されていた。しかし、探査が成功して予算が追加され、2機はさらに遠くへ向かった。1号はそのまま太陽系外に進んだが、2号は冥王星と海王星の探査も行うことができた。
地球表面から打ち出された物体が、重力に逆らって太陽系を脱出するためには、発射時に秒速16.7キロメートル以上でなければならない。しかし、ボイジャー1号と2号が地球を飛び立ったときの速さはこれに満たなかった。しかも、姿勢制御と軌道補正のための小さなエンジンしか搭載されていない。そこで、「スイングバイ」という技術が採用された。これは、惑星の近くを通り過ぎるときに、万有引力によって惑星に引っ張られ、惑星の公転運動を利用して速度を変化させるという方法である。ボイジャー1号と2号は、木星でのスイングバイによって運動エネルギーを増加させ、太陽系からの脱出速度に達した。また、木星、土星、天王星と海王星は各々太陽の周りを異なる速さで公転しているが、175年に一度、太陽に向けてほぼ一列に並ぶ。1982年にこの「惑星直列」が起きたので、ボイジャー2号は飛び石のようにスイングバイをして、次々に惑星を訪れることができた。2世紀に一度のチャンスであった。
1990年、太陽から60億キロメートル離れた位置にあったボイジャー1号は、最後にもう一度振り返り、太陽と6つの惑星を連続写真として撮影した。この写真では、地球は漆黒の宇宙に浮かぶ青い点にすぎない。この「太陽系家族写真」を別れの挨拶として、偉大な宇宙探査プロジェクトも終わりを告げたかと思われた。
しかし、冥王星 ( もはや惑星の仲間ではない。日本学術会議は「準惑星」と呼ぶことを勧めている ) の属するカイパーベルトを超えても、ボイジャーは機能し続けた。電力とメモリーを節約するために姿勢制御システムは停止させたが、太陽のコロナから発せられているイオン化された原子の流れである太陽風と磁場を観測し、出力わずか23ワットの通信機で地球と連絡を取ることができた。
太陽系の端とはどこにあるのか。私たちの太陽系は、天の川銀河の中を移動している。銀河の星の間には、星間物質と呼ばれるプラズマがある。一方、太陽からは太陽風が吹いている。太陽風が星間物質に出会うときに起きるのは、台所のシンクに蛇口から水を出した時の現象と似ている。蛇口から落ちてきた水は、シンクの底に当たって水平に拡がる。しかし、シンクに水がたまってくると、ある大きさの輪ができる。輪の端に水の段ができて、その内側では水が勢いよく広がっていくが、その外側では水の動きは見られない。蛇口から落ちた水が広がっていくにつれて勢いがなくなり、あるところで外側にたまった水の圧力に負けてしまうのである。このときにできる輪が「末端衝撃波面」である。太陽風が星間物質に出会うときにも、末端衝撃波面ができる。これが太陽系の端である。その内側が「太陽圏」、その外側が星間空間。ボイジャーが太陽系を脱出したというのは、末端衝撃波面を超えたということである。
このボイジャー計画を推進してきたのは、私の所属するカリフォルニア工科大学(カルテク)の一部門のジェット推進研究所(JPL)である。JPLは第2次世界大戦直前にカルテクに立ち上げられたロケット研究グループに始まり、現在では米航空宇宙局(NASA)の無人宇宙探査を一手に引き受けている。1972年から現在に至るまでボイジャー計画の科学主任であり、JPLの所長も務めたエドワード・ストーン教授は、この分野の英雄である。私は2000年にカルテクの教授に着任したとき、即座にストーン教授に面会をお願いした。当時のお話では、電池が働いている間にボイジャーが太陽圏を脱出できるか微妙だという印象だった。
気象が変化するように、太陽風の強さも時間とともに変化している。もし太陽風が強くなると、太陽圏が膨張し、末端衝撃波面も遠ざかる。一方、ボイジャーに搭載されているプルトニウム電池は毎年4ワットずつ電力が下がる。末端衝撃波面に到達するまでボイジャーの電池が使えるかどうかは時間との戦いである。幸いにして大きな太陽風は起きず、観測データの解析から、ボイジャー1号は昨年の夏に末端衝撃面を超え、星間空間に突入したことが明らかになったというのが今回のニュースである。
ストーン教授は、「この歴史的一歩を記したことは、星間空間を探索するというボイジャーの新しい使命の始まりでもあり、興奮させられる」と語っている。これまで望遠鏡でしか見ることのできなかった星間空間の世界が、人類の作った探査機で直接観察できるようになったのだ。2020年ごろまでは星間空間の観測が続けられるという。また、数年後には2号も太陽圏を脱出するはずである。
私事であるが、ボイジャー1号と2号が木星に近づいたときには私は高校生、土星の観測をしていたのは大学生のときだった。その後、2号が天王星を通過したときに大学院で素粒子論の研究をはじめ、海王星に到達した年に博士号を授与された。私は、ボイジャーの太陽系の旅とともに、科学者として成長してきたように思う。太陽圏を越えたボイジャーが、まだまだがんばっているのは心強い。
宇宙の無人探査は、多くの科学的成果をもたらしてきた。宇宙に打ち上げられた数々の望遠鏡や観測機は、太陽系内の惑星探査のみならず、遠くにある星や銀河、また宇宙の始まりや終わりについての新しい情報を私たちに与えている。無人探査は費用効率が高く、またボイジャー計画のように途中で計画を変更できる柔軟性もある。しかし、その将来は必ずしも明るいものではない。米国では、財政状況の悪化と、ハッブル宇宙望遠鏡の後継機であるジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡計画の費用膨張によって、次期無人探査計画の予算が圧迫されている。重力波を宇宙で観測しようという宇宙重力波望遠鏡計画も、JPLが欧州宇宙機関と共同して開発していたが、予算削減によってJPLは撤退せざるをえなくなった。重力の謎を解きたいと研究を続けている一人として、残念というしかない。
そんなとき、新型ロケット「イプシロン」打ち上げ成功のニュースが飛び込んできた。高性能・低コストのロケット技術の実現で、宇宙開発への夢が膨らむ。今回搭載されている衛星は、金星や火星、木星の大気や磁気を観測するという。ボイジャー計画を越える21世紀の宇宙探索が、日本の創造力と技術力から生まれることを期待したい。
by planckscale
| 2013-10-27 13:24