2014年 07月 12日
ガロア理論 |
先週の木曜日からコロラド州にあるアスペン物理学センターに来ています。今週からは、「弦理論の創発する時空間」の研究会も始まりました。
私はセンターの理事を務めていて今年で任期満了だったのですが、火曜日に理事会があって、2期目に再任され、引き続きセンター運営のお手伝いをさせていただくことになりました。
さて、昨年の11月から、幻冬舎のウェブマガジンで連載してきた『数学の言葉で世界を見たら』も、今月の2回の配信で任期満了です。
連載最後の話題は、「ガロア理論」にしました。
19世紀最高の数学者のひとりとされるガロアは、1811年10月25日にフランスに生まれ、1832年5月31日に亡くなりました。これは、ビクトール・ユーゴーの小説『レ・ミゼラブル』の時代設定 (1815年から1833年) とほぼ重なっています。
1930年、ガロアが19歳のときに、7月革命が起こり、ブルボン王朝が終焉します。上にリンクした映画『レ・ミゼラブル』のビデオも、7月革命を描いたものです。
ガロアも、共和主義者として革命に参加します。
しかし、翌月には資本家や銀行家などのブルジョアジーに推されたルイ・フィリップが立憲君主として即位し、共和主義者たちは挫折。政治的に先鋭化したガロアは、20歳で投獄されます。そして、出獄後に決闘の挑戦を受け、致命傷を負って亡くなってしまいます。
ガロアは、決闘の前夜から早朝までかけて親友のに手紙を書き、数学における自らのアイデアの全貌を伝えようとしました。手紙の最後には、「僕にはもう時間がない。僕のアイデアはこの広大な分野において十分に発展されたとは言えないのだ」と書かれています。政治の混乱と社会の矛盾に翻弄された人生でした。
彼が遺書に書き残したアイデアは、その美しさが数学者を魅了しただけでなく、20世紀・21世紀の科学や技術の進歩に大きな影響を与えることになります。
20歳と7ヶ月の短い人生の中で、ガロアは何を成し遂げたのか。彼が切り開こうとしたのはどんな世界だったのか。
『数学の言葉で世界を見たら』 連載の第17回の記事はこちらから。
⇒ 第17回 : 難しさを測る、美しさを測る 前編
連載最終回の配信は7月27日(日曜日)の予定です。お楽しみに。
by planckscale
| 2014-07-12 11:12