2015年 03月 03日
『数学の言葉で世界を見たら』 |

『数学の言葉で世界を見たら 父から娘に贈る数学』
が、3月19日(木)に幻冬舎から出版されます。
私の娘は、カリフォルニアで生まれ育ち、現地校で義務教育を受けてきましたが、日本語補習授業校で日本の学校生活も体験しました。小学部の卒業式の謝恩会では、私も保護者のひとりとしてスピーチをさせていただき、日本語と英語のバイリンガルとして育つことで、物事をより幅広くより深く考えることができるという話をしました。
そして、数学も言葉のひとつであるとして、
「日本語と英語の2つの言葉を身につけられた皆さんが、数学も身につけて、トライリンガルとしてご活躍されることを期待しています」
と結びました。このスピーチの原稿を私のブログでご覧になった幻冬舎の小木田順子さんから、「この話の続きになるような数学の本」のご提案を受けたのが、本書執筆のきっかけでした。
ちょうど、幻冬舎がウェブマガジン「幻冬舎plus」を立ち上げるところでしたので、9ヶ月間、隔週で数学コラムを連載しました。
この連載を単行本として出版するために、全体のストーリーを考え直し、話題を取捨選択し、説明の仕方もすべて見直しました。また、数学の各分野の気鋭の研究者に原稿を読んでいただき、ご批判をいただきました。
各章の最初と最後には、大高郁子さんが、素敵なイラストを描いてくださいました。各章の話題に合わせたイラストで、イメージがふくらみます。また、鈴木成一デザイン室の装丁も素敵です。これまで新書を3冊出版してきましたが、単行本ではデザインに自由度があることが楽しいです。
本書の構成は、以下のようになっています。

コイン投げのギャンブルから、がん検診、原子力発電所の安全性など、人生では不確実な情報から決断をしなければならない場面がたくさんあります。そのようなときに、自分なりに納得のできる判断をするための「方法」を解説します。
第2話 基本原理に立ち戻ってみる
リンゴやミカンを数える「1、2、3……」という自然数だけでは解決できない問題を克服するために、人は「0」や負の数を発明し、数の世界を広げてきました。マイナスとマイナスを掛けるとプラスになるのはなぜか。冲方丁さんの時代小説『天地明察』のテーマにもなった暦の作成で活躍する連分数、ソクラテスの対話にも登場する2の平方根など、数の世界を広げてきた人類の知的冒険の軌跡をたどります。
第3話 大きな数だって怖くない
地球の環境問題を考えるときには、全人類のエネルギー消費量や地球上の大気の総重量など、とてつもなく大きな数が相手になります。フェルミ推定からはじめて、「天文学者の寿命を2倍にした」したといわれる、大きな数に立ち向かう「方法」へ。銀行の複利計算からみつかったネイピア数の、「恋人選びの最適解」への応用についてもお話しします。

1とその数以外では割り切れない数「素数」。 フェルマーやオイラーほか、名だたる数学者が、素数に魅せられ、有名な定理や公式を発見してきました。いったいなぜ数学者は、こんなに素数に萌えるのか。そして、私たちの日常生活にも欠かせない、驚きに満ちた素数の性質とは。
第5話 無限世界と不完全性定理
同じ無限でも〈大きい無限〉と〈小さい無限〉がある。1と0.99999……とは等しい。有限の脳細胞を持って有限の時間を生きる有限な私たちが、「無限」を尋ねて旅を続けたら、そこには摩訶不思議な、めくるめく世界が広がっていました。

宇宙全体から見たらちっぽけな惑星に生きる人間が、どうしたら宇宙空間のかたちを測ることができるのでしょうか。その手法の出発点は、小学生でも知っている「三角形の内角の和」の性質。「一度見たら一生忘れない」ピタゴラスの定理の証明から、現代宇宙論の最先端までを一気に駆け抜けます。
第7話 微分は積分から
高校の数学では、ほとんどの教科書で、まず微分を説明してから、その逆の操作として積分を導入します。しかし、歴史をさかのぼれば、積分は微分より1800年以上も前に登場していました。高校で微積分を勉強してチンプンカンプンだった人も、これから微積分に取り組もうという人も、歴史に沿った「積分から先に」を試してみよう。アルキメデスが、古代ローマ共和国のシラクサ包囲戦で亡くなる前に、アレクサンドリアの大図書館の友人エラトステネスに送った一通の手紙に始まる、生きた、血の通った、微分・積分のお話です。

古代ギリシアの幾何学に端を発する三角関数。大きな数の計算のために生まれた指数関数。生まれも育ちも全く違う2つの関数には、実は深いつながりがありました。その両者をとりもつのが虚数=空想の数。「博士の愛した数式」を生み出した虚数は、幾何学の世界と方程式の世界を結びつけ、最終回のガロア理論の舞台を用意します。
第9話 「難しさ」「美しさ」を測る
本書の最後を飾る主人公は、19世紀を代表する天才数学者にして、現代の科学や技術の発展に多大な貢献をしたガロア。新たな理論を構想しながら「僕にはもう時間がない」と悲痛な手紙を遺し、20歳で早逝したガロア。その壮絶な生涯以上にドラマチックなガロア理論。彼が切り開こうとしたのはどんな世界だったのか。
ウェブマガジンの連載のときにMathJaxの設定などでお世話になった技術担当の柳生真一さんは、Kindle版の製作でも奮闘されました。ありがとうございます。
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お読みいただけるとうれしいです。
以下に、本書の「はじめに」を転載しました。「はじめに」と書いてあるところをクリックしていただくと開きます。
はじめに ― 父から娘に贈る数学

21世紀は不確実な世界だと言われる。国際社会のルールもどんどん変わっている。中国には13億人、インドにも12億人の人々がいる。その多くが高等教育を受け、知識産業に従事するようになったら、世界は大きく様変わりするだろう。こういう話をすると、日本や米国のような先進国の若者の将来が脅かされると考える人もいるけれど、僕はそうは思わない。発展途上国にいる何十億もの人々がよい教育を受ける機会を持てば、現代社会の様々な問題を解決するための新しいアイデアも次々に生まれてくるだろう。世界全体の教育レベルが上がれば、分配すべきパイも大きくなる。これは21世紀に生きる君にとって、チャレンジであるとともに、大きなチャンスでもあると思う。
このように変わりつつある世界で必要とされるのが、自分の頭で考えることのできる能力だ。欧米の大学教育には「リベラル・アーツ」という伝統がある。これは古代ギリシアやローマの時代に始まったもので、リベラルとは本来自由、つまり奴隷ではないという意味だ。つまり、リベラル・アーツとは、自らの意思で運命を切り開いていくことが許される自由人の教養のことだったんだ。指導者になるためには、想定外の問題に直面したときに、自分の頭で考えて解決する能力を鍛えておかなければいけないというわけだ。
古代ローマではリベラル・アーツは、「論理」、「文法」、「修辞」、「音楽」、「天文」、そして「算術」と「幾何」の7つの部門からなっていた。最初の3つは、説得力のある言葉で語るための技術だ。考えというのは言葉にしてはじめて形になるのだから、しっかりした言葉で語れることは、自分で考える能力をつけるためにも必須だ。
このなかに、「算術」と「幾何」という数学の分野が入っているのが面白いと思う。言葉を扱う文学や外国語は文化系科目、数学は理科系科目とされるが、僕は数学の勉強は言葉を学ぶようなものだと思っている。数学とは、英語や日本語では表すことができないくらい正確に、物事を表現するために作られた言語だ。だから、数学がわかると、これまで言えなかったことが言える、これまで見えなかったことが見える、これまで考えたこともなかったことが考えられるようになる。
僕は小学校の時には算数がそれほど好きではなかったけれど、中学になってからは数学が楽しいと思うようになった。そのきっかけは、「自分の頭で考える快感」がわかったことだった。数学の問題を正しく解いたときは、答えはそれしかなく、それ以外にはない。学校で解き方を習っていない問題を、自力で解いたときの喜びはとりわけ大きい。そして、その答えが正しいかどうかも、先生に尋ねなくても、自分で判断できる。赤ちゃんが自分の足で歩けるようになったときのように、新しい力が授けられ、世界が広がったと感じたのを覚えている。君にもその喜びをわかってほしいと思う。
本書では、21世紀に有意義な人生を送るための数学について話そう。もちろん、数学をきちんと体系的に勉強するためには、学校の教科書を使うのが一番いい。数学は言語だと言ったけれど、たとえば数学をフランス語にたとえると、この本は文法を一から勉強する教科書ではなく、フランス旅行のための実践的な会話集のようなものにしようと思う。パリのレストランに行ってフランス語で注文してみる。もう少し欲を出すと、ギャルソンが「本日のお勧め」を説明したときに、どんなものか見当をつけて、注文すべきかどうか判断できるようにしたい。また、ときにはルーブル博物館に行き、過去の偉大な作品に触れることで魂を豊かにしよう。本書でも、数学の実践的な応用とともに、古代バビロニアやギリシアの時代から育まれてきた数学の素晴らしさを語りたいと思う。
僕は数学者ではない。1989年に東京大学から物理学の博士号を授与され、5年後にカリフォルニア大学バークレイ校の教授になったときにも、また2000年にカリフォルニア工科大学に移籍したときにも、物理学教室に所属してきた。ところが2010年になって、数学教室の先生方が、僕に数学教授を併任するよう勧めてくれた。僕は「名の残る定理を証明してもいないのに」と言って辞退したのだが、「定理の証明だけが数学に貢献する仕方ではない。あなたの研究は数学に新しい問題を提示して、その発展を触発している」と言われて、受けることにした。実際、僕の名前のついた数学の予想があって、そのいくつかは数学者によってきちんと証明されている。そのようなわけで、僕は定理を証明する数学者ではないが、数学の使い手としては認められている。本書で語るのも、使い手の立場から見た数学だ。
本文に書ききれなかった解説やその先の話題、参考文献などは、補遺として僕のウェブページで公開することにした。こうしておけば、数学に新しい発展があったときに補遺に反映させることができるし、新しい参考文献を付け加えることができるからだ。もちろん、この本は補遺を参照しなくても読めるように書いてあるけれど、一度読んでさらに詳しく知りたくなったら、『数学の言葉で世界を見たら』 付録のウェブページ に置いてあるので、見てみるといいかもしれない。本文の中でも関連する場所で引用していくことにする。
では、最初の話をはじめよう。

by PlanckScale
| 2015-03-03 02:29